情報とお金の話。

 

情報は権力の源泉だ、というツイートを読んでそうだなあと思うのと同時に、情報をどこまで他人に渡すのが正解なのだろうと考えてしまうことがある。

契約関係では基本的に相手には最低限の情報しか渡さないことが正解だと思っているので、ビジネスから知り合った人は私のことをよく知らない人が多いしある種それも仕方ないのかなと思う。ただたとえビジネスであっても、人と人との関係というのはどこまでいっても人間関係でしかないので、敢えて私が不利になる情報を渡すことによって信頼を買うこともある。

ある教授が情報と普遍化の話を記していて、昔は普遍化こそが素晴らしいと感じていたが、最近は少し変わってきたと続いていた。研究者としてはどこまでを普遍化出来るのかということに挑戦し続けて欲しいとも思うのだが、一方で普遍化できるものこそが素晴らしいものだろうか、という問題は確かにあるよなと感じている。でもある程度普遍化されたものでないと多くの人に理解してもらうのは難しいし、民主主義社会においてはそれは素晴らしいものとは言えないだろう。

「なんでこのバンドが売れないんだ」みたいなコメントをよくYouTubeで見るけど、恐らく普遍化に失敗しているということがひとつの原因としてあると思う。普遍化しないこと、一部の人にしか理解できないことを価値として売り出すバンドもあれば、それにも失敗して価値をつくり出せていないバンドも存在する。私個人としてはもう少し音楽界全体の収入があがればいいなと思って色々考えているのだけど、ミュージシャン然りクリエイターの中には変化を好まない人も多いので結構めんどくさい。ライブハウスの入場料が500円くらいになれば知らないバンドでも見に行こうと思えるし、仕事帰りにふらっとライブハウスに寄ることも出来るようになると思うのだが、バイト先の人に同じことを話したらライブハウスのプライドの問題だと言われた。ライブハウスとして稼働する日程を週2日にして週5日は飲食店をやればライブの入場料を500円にしても回せると。確かに似たようなことをやっている飲食店も存在はする。でもそれが根付かないのはライブハウスにライブハウスとしてのプライドがあるからだろうと。飲食店のついでにライブハウスをやるような真似は出来ないのだと考えているからだろうと。なんかそれで多くのバンドマンが飯を食っていかれない状況に追い込まれているのならば、本末転倒な気もするのだが。まあ長い目で見ながら考えたいと思います。